うつブロ【うつ病社会人のブログ】

うつ病でも前向きに生きたい。そんな人が書いてるブログ。

死を考えさせる暇を与えない

この1週間ほど、

自殺衝動に駆られること無く過ごせた。

 

というよりかは駆られてる余裕が無かった。

急な日用品の買い出しや、外出して筋トレに没頭したり

書店を巡ったり映画を観たり案外充実していた。

 

自殺衝動を抑えるためには趣味を楽しめばよい。

というような事を本で見かけたけども、

自分には「外出すること」そのものが効果的だと感じる週だった。

 

これからも気分が落ち込んだり疲労感が残っていたりで

外出したくないと思ったとしても、

僅かな時間でも外に出て刺激を浴びていこうかな。

年が変わり、そして現状

前回のブログから大分日が空いてしまった。

まだ年が変わる前、昨年の12月下旬にかなり重めの鬱症状で困らされていた。

12月下旬と言えばクリスマスや大晦日のようなおめでたいイベントが短期間に集中しており、それに合わせて街の雰囲気もおめでたムードで溢れていた。

それが今の自分の状態に合わなかった。

ハッキリ言って現状の自分はこれまでの人生の中でも最悪だと言い切れるほどの精神状態であって。

そんな男が、クリスマスで幸せの絶好調です♪みたいなカップルや家族を見て何も感じない訳がない。

自分がひどく惨めに思えたし、劣等感も覚えた。

(だからといってカップルを襲撃するような軽率で野蛮なことをしたりはしない)

そんな自分に生きる価値を見出せなくなり自殺も考えた。最近は何かアクシデントやストレスに直面すると『死んだら楽になるな』と考えるクセがついてしまったように思える。

経済状況は消耗戦のようで、ジワジワと余裕が無くなっている。

それなら働いて稼げば良いじゃないかと思うだろうが、僕は就職に対してあまり良いイメージを持っていない。

まず、企業のもとで働く事に抵抗がある。企業の社風が自分の価値観や理念に合っていて今後やりたい仕事にも就けるのなら流石に就職したくもなるが、そんな会社は無い。

からして、たいして興味のない会社に勤める事になったら毎日が苦痛になりそうだ。

僕は過去に1日あたり9時間ほどゲームをして過ごしていた期間が3か月ほどあった。

周りから見ると異常かと思われるかもしれないが、当の僕にとっては素晴しい至福の期間だった。

楽しいこと、好きなことだから1日9時間稼働できたわけであって、それが仕事となるとそうはいかないだろう。

大体、会社の仕事なんてものは7割方はどうでもいい必要かどうかすら分からないものでこなすのは非常に退屈でストレスが溜まる。

それなのに1日に8時間の労働が強制させられる。

考えれば考えるほど馬鹿らしくなってくる。

 

生きていくのに金は必要だ、

だが企業で上司や部下の機嫌を伺ったり社内政治に巻き込まれて面倒を被ったり、来る日も来る日もゴミのような業務をこなすのは苦痛だ。

だから生きていたくないんだ。

だから死にたいんだ。

 

そんな僕だが新卒1年目は狂ったように働いていた。

自宅から遠い支店に配属となって片道2時間30分かけて通勤、自分の仕事をこなしつつ上司のサポートをしたり部下への指示出しなんかをしていたら気が付けば夜になっていた。少し残業もやったりして、その後は上司に付き合って飲み屋に繰り出したりしていた(出世のためだけに同行していた)。

 

だがうつ病になって全てが変わった。

周りの光景が色褪せて見えるようになった。

食事や芸術から何も感じ取られなくなった。

以前なら楽しめたことも楽しめなくなり、

次第に生きる気力も枯れていった。

生きること、働くことに疑問を抱くようになった。

それは今も変わらない。

そしてきっとこれからも変わらないだろう。

 

僕は何故生きているのだろうか。

何故死んではいけないのだろうか。

生きろというのなら何故働かなくてはならないのか。

疑問はずっと何一つとして変わらない。

 

ふと街に繰り出すと、

スーツ姿で仕事に向かう人だったり、

取引先であろう相手と電話を交わしている人を目にする。

その度に僕は『あの人達は何の為に働いているのだろうか』と真剣に考えてしまう。

答えはきっと『生きなくてはならないから』だろう。これが根源にあるから働く意欲が沸々と湧いて出てくるのだろう。

 

だが僕にはその『生きなくてはならない』という思いは無い。それなら僕は何の為に働くのだろうか。

 

もう僕は死んでもいい。

全て準備は既に整っている。

あとは家族以外に迷惑がかからない方法で済ませられれば何も問題ないだろう。

 

もう最近は生きている心地がしない。

なんだか精神は既に死んでしまっているではないかと錯覚している。

自殺そのものに対して何も感情を抱かなくなった。

怖い、嬉しい、悲しい。

何も感じない。

ただただ無になるんだという思いだけがある。

 

出来ることはやって早く死のう。

もし生きていたらその時の気持ちを

またブログに綴ろう。

 

 

 

社会恐怖と安楽死希望

会社を辞めて1週間以上経過した。

僕はまだダラダラと生きてしまっている。

ただ、誰にも迷惑をかけずに死ぬことができたら、

それが僕にとってどれだけ救いになることか。

 

アルバイトの面接を受けに行き、

久しぶりに雇用者と労働者の強弱関係を思い知らされた。

案内された部屋の前、ノックは2回、

面接官の「どうぞ」の声を合図に部屋に入る

だが、その際に「失礼致します」と言いたかったのだが、緊張とは別に恐怖で声が震えてしまった。

 

僕はこの人たちに雇われるんだ。

この人達の機嫌を取って好かれなければ雇われない。労働者がここで選別されてるんだ。

僕は雇われるだけの弱い存在なんだ。

というふうに考えてしまった。

(その当時はもっと不安な気持ちで押しつぶされたような感覚になっていた)

 

僕は主従関係が苦手だ。

だが例外はある、相手が僕からみてとても素晴らしい人間論理を持っていて行動も道徳に則ったことをしている。そんな人間に従えるのなら僕は是非とも従わせて頂きたい。

 

分かっている。

そんな人間など滅多にいない。

 

だが僕は、いかなる相手にも誠実で、誰も損させないように利他的に動いてきたと胸を張りたい。

それが会社組織的には鬱陶しがられる事が多かった。

邪魔者、空気読めないやつ、偽善者、余計な仕事を増やすやつ、なんて散々言われてきた。

 

僕は誠実に真っ直ぐ生きてきたつもりだ、

だが現実ではしたたかなやつが組織に馴染めている。

 

最近、死刑になりたくて犯罪に走ったというニュースを見た。

 

僕も死刑になりたい。

ただ、僕は誰かに危害を与えたいわけではない。

 

警察署に行って。

「お願いします。私を殺してください」

なんて言って

それを聞いた警察官も

「はい。それでは安楽死でご案内進めさせて頂きます」なんて返事をして。

簡単に安楽死に至らないのだろうか。

 

首吊りはダメだ。

現場になった物件の価値が下がる。

近隣住民からのバッシングもあるだろう。

 

安楽死がいい。

いや

安楽死でなくともいい。

 

誰か僕を殺してくれ。

もう生きていたくない。

殺してくれ。

頼むから。

死んで救われる人間がここに居るんだ。

カナダなら安楽死も依頼できる。

日本には無いのか?

頼む

頼むから

僕を殺してくれ

殺してくれ

頼む

 

勇気を出して誘ってみたものの…

正直に告白する。

僕は非常に友達が少ない。

0人ではないのだが、連絡を取り合うことは殆どない為、僕の中では友達がいないのと変わりはない。

 

そんな僕でも

最近お誘いのメッセージを送ることがある。

 

だが、たかが友達へのメッセージだとしても

性格柄か気を遣ってしまう。

 

「この文章の書き方だと宗教の勧誘だと思われそうだな」

とか

「あまりビジネスっぽくカッチリした文にするとセミナーの集客みたいになるな」

とか。

 

他にも試行錯誤を繰り返した結果、

ラフさを出しつつ目的をハッキリさせた文章にすると良いのでは?と思うようになった。

 

文面は大体こうだ

『久しぶり!元気してた?

前から気になってた〇〇って店行かない?

そのあとカラオケとかも行こうよ』

という感じだ。友人へのお誘いの分なんて大体こんなものだ。

(↑無理にテンションを上げて何がなんでも来てもらおうとしている必死さが窺えるのは僕だけだろうか)

 

さぁ

気持ちの準備、お誘い文章の作成を終えて

いざ、メッセージ送信。

 

ーーーーーーーーー30分後ーーーーーーーーーーー

友人から返信が届いた。

内容を確認すると

『行けるか分からない、考えさせて』

だってさ。

 

あのさぁ…

行きたくないなら

『ごめんその日用事あって…』とか言ってくれれば

それで終わりなのに、なぜ引き伸ばそうとする?

そうやって期限引き延ばす時って大体行く気ないとかじゃないのか?

(※個人の解釈が含まれております)

 

だから人を誘うのは面倒なんだ。

文章の構成、文章内容の雰囲気、相手の好み、

相手の大まかなスケジュール。

これらの工程には非常に気力を使う。

 

なのに、

行けるか行かないか曖昧な返事をされると

僕としては困る。

ここで

『わかった!行けるよ』

とか

『ごめん!行けそうにない』

とか具体的な返事が来てくれたら僕もそのまま前に進めた。

 

『行けるか行かないか分からない』って

僕はどんな気の持ちようで過ごせば良いんだろうか。

 

はぁ

こういうスケジュール合わせが面倒なんだ。

 

ちなみに僕が融通きかないわけではない。

候補日も幾つか指定して抜かりがないようなしている。

(↑この調査も面倒さの一つ)

 

一人行動は楽だ。

自分の好きなことにだけ時間を費やせるし、

外部からのストレスも比較的少ない。

とても快適だ。

 

他人と過ごすとストレスが溜まる。

僕のことを知りもしないくせに勝手なアドバイスをしてくるし、相手の挙動に注目してしまい疲れていく。一緒に過ごしていても楽しくない。

(↑僕が退屈な人間なのか、それとも相手が退屈な人間なのか、それとも両方か)

 

友達を遊びに誘うのは苦労が多く、とても面倒だ。

変に気使ったりするし、もう最悪だ。

 

社会性を失いつつある気もしなくはないが

僕にはおひとり様が丁度良い。

英語に浸る

ここ最近。

大体2種間の期間。

 

とにかく本を読んだ。

自分の生き方に関する情報・ヒントが無いか探す求める為に。

哲学史、人類史、戦争史に関する本を読んだ。

読んだ本は後に記録する。

 

こんなにも活字に目を滑らせ続けたのは大学受験以来だろうか

いや、その時以上に情熱や気持ちを込めて活字と向き合っている。

 

良い気持ちだ。

知識や見聞も増やしたいという向上心がメラメラと燃え広がっているのがわかる。

 

最近は英語学習もかなりいい姿勢で進められている。

とりあえず今は文法・単語に絞って学習している。

それで、最初はあまり読めなかった英文も

ほんの少しずつだが意味をくみ取れるようになってきた。

苦戦して諦めていた謎が徐々に明らかにされていく感じ、

たまらない。

英語学習なんて僕には敷居が高すぎるのではと思った。

だが自分のペースというものを掴んだ今、

学べば学ぶほど英語が理解できるようになってきている。

 

あまり経験してこなかった

この快感。

この高揚。

 

僕は生きていると感じた。

 

今回行ったのは

ひたすら知識のインプット

    知識のインプット

    知識のインプット

            のみ。

 

 

頭の中で英単語達がゆったりと飛び回っている。

心地よい達成感・充実感。

視界に入る日本語を勝手に英語訳できてしまう。

これが英語漬け状態なのか。

それともただのフロー状態なのか。

 

どちらにしろ気分は最高だ。

探求心は僕を死から遠ざけてくれる。

 

 

↓今読んでいる本

読んだ中だと「食料生産にまつわる謎」が面白かった。

戦禍にて、女性ならではの経験談は時が変わっても凄惨なものが多く。

だがそこに引き込まれてついつい読みすすめてしまう。

Google Love

現役高校生の頃は「Forest」というテキストを使っていたのだが

リニューアルして「Evergreen」となったようだ。

表紙にラメのような加工がされていてキラキラとしており

とても学習書とは思えない。

中身は普通に読みやすく理解もしやすい構成になっている。

1700円くらいで僕にはそこそこの出費だが買って後悔していない。

これから長い付き合いになる一冊。

ボクハアダルトチルドレン

子供の頃に見たアニメ。

作品に登場するキャラクターは個性がバラバラだけど、彼らに共通するのは『誠実で』『正しいこと』をしたいと願う心を持っていること。

 

僕もそんなキャラクター達の背中を見て

育ってきた。

だから社会でも

悪が正義に勝てる訳無いんだ。

姑息に金を稼ぎ、人を不幸にする奴らなんかにはならないぞと。

 

僕はこれまで

正直で

誠実で

真面目に仕事に取り組んできた。

 

それなりに成果は出せてる。

ただし、もっとやれるよね?と上司から忠告。

 

でもこれ以上はタスク管理も複雑になりますし僕にはまだ難しく思えるのですが。

 

ひとまず今回は出来たよね?

じゃあ次はもっとレベル上げたとこ任せても良いよね?

 

はい…やります。

それでいい。さっさと仕事に取り掛かれ。

 

(クソックソッ 無茶だ、この人数でこの工数

(フルで残業してギリギリ納期に間に合うレベル)

やるしかない。

『あ、じゃあ僕ら帰るんで、千早くんだけあと残ったデータの処理お願いするわ お疲れ様〜』

バイバーイ お疲れ様でした お疲れでーす

 

今帰ったのが終電組で残されたのは僕一人。

泊まって作業進めろってことかよ。

ふざけるな。

 

そこで体感した、みな楽をして仕事をしたいのだとら一見真剣に業務に取り組んでるように見せかけてはどこかで力を抜こうとしている。

 

彼らが息抜きをしている間も休みなく働いてるのはどんな人だろうか。

僕だ。

良くも悪くも馬鹿正直で

どんな仕事もやります。やってのけます。

という精神でここまできた。

 

この社会はそういう人間を平気で私利私欲に利用する。僕はそうやって利用されてきた。

だから他人が怖い信用できない。

会社からはハラスメントを受け

医師は思い込みの洗脳をしてくる。

 

真面目にやっても得はない

むしろ苦しいことばかり

時には理不尽な目にも遭う。

 

それでもまだ

道徳的は正しい人で居たいと心から思っている。

 

僕の誠実さ真面目さはいずれ何処かで武器になる。

 

白い人間でいたい。

不正、嘘、汚職、欺瞞、いじめは許せない。

どうせ仕事をするのなら白い職場で働きたい。

どんなに低所得だったとしてもね。

 

 

八方塞がり

つい先ほど、クリニックで今後の仕事に関する相談をしてきた。

 

コミュニケーションに対して恐怖心があること。

集団行動に不安があること。

生活リズムが乱れて安定した就労が難しいこと。

(加えて通勤電車が苦手なこと)

 

今抱えている不安なことは大体相談した。

 

その結果、

「現時点での復帰は難しい」

「会社勤め以外の道を模索した方が良いのでは」とのこと。

 

医者は勝手だ。

「復帰は難しい」と言われるのはまだ理解できる。

 

だけども

「会社勤め以外の道を模索した方が良い」と言われると

これまで社会に馴染もうと努めてきた過程を

否定されてしまったように感じてしまう。

 

うつ病を患って、

そんな弱い自分は人より劣っていて

もうまともな生活は送れないのだと思うようになった。

それから、

いわゆる健常者の人と接することが怖くなった。

なんだか見下されているような気がするし、

自分の感じたことを話しても理解されないような気がした。

 

他人との壁を感じる。

ただ間に障壁があるだけでなく高低差もあって、

僕は他人よりだいぶ低いところに居て

見下ろされて嘲笑われているように思えてきた。

 

精神障がい者として就職活動することも考えた。

 

だが

「君の鬱は軽度だから一般就労でも大丈夫だよ」

とか

「自分のやりたい事やりなよ」なんて

何の根拠もない事を言われる。

 

あなたは僕の何を知っているのですか?

 

たかが一回の通院で15分話す程度の関係なのに

どうしてそんな軽はずみなアドバイスが出来るのだろうか。

僕には理解できない。

 

ただそのアドバイス?を受け流すのも僕には難しく、

真っ向から受け止めてしまう。

 

もう一般就労は怖い。

配慮は何も受けられないし、その割に給与は今より下がる。

 

障がい者採用だと求人の大半は事務系となっている。

今回就職した会社で事務を経験して分かったが、

自分には事務業務は向いていない。

精神的に状態が悪かったのも要因の一つだが、

思いのほかコミュニケーションを取らなくてはいけない機会が多いのが

僕には厳しかった。

 

もう八方塞がりだ。

これからの事を考えれば考えるほどネガティブな気持ちに陥る。

どうしたら生き易くなるのか、

どうすればうつ症状が軽くなるのか全く分からない。

 

僕は臆病な人間で、

あらゆる可能性から目を背けているだけなのだろうか。

現実にはそんな僕でも生きていける道があるにも関わらず

僕が逃げているだけなのだろうか。

 

ここまで悩むくらいなら

もう死んでしまいたい。

 

悩むことに疲れた。

年を取るにつれて悩み事が増えていくのかと思うと絶望しかない。

それなら今死ぬのが一番楽だ。

 

死にたい。

時折、弱い自分を憎く思うと

胸の辺りからカーッと熱が生じて、

それがついには頭にまで熱が伝わってきて

衝動的に自殺願望に駆られる。

 

それを制止するのも一苦労で、

念仏のように

「大丈夫。大丈夫。何とかなる。何とかなる」と

自分の中で時間をかけて何度も唱え続けてやっと落ち着く。

 

僕は弱者だ。

僕は社会不適合者だ。

僕は臆病者だ。

僕は他人より劣っていて、人並みの生活さえ送れない愚図だ。

 

死んでしまいたい。

僕はおかしい人間だが、

この社会もだいぶぶっ飛んでいる。

 

もう悩みたくない。

早く楽になりたい。