うつブロ【うつ病社会人のブログ】

うつ病でも前向きに生きたい。そんな人が書いてるブログ。

生きる理由はもう『無』い

『社会は険しく辛い』

これは誰しもが感じている事だろう。

 

4週間ほどの休職期間で色々と思い耽っているうちに

そこから、ある一つのことに気づいてしまった。

 

『この世に意味のあるものはない』

 

一度そう気づいてしまうと、

これまでの人生、そして現在、この後の未来にも

意味を見出せなくなる。

哲学における『無』とはこの事なのだろうか。

何をしても満たされない。

 

これもうつ病の症状なのだろうか?

おそらく違う。

 

この社会で生きる事は僕には厳しすぎた。

仕事では自分より権威を持つ上司に恐怖心を抱き

内心ビクビクしながらも嫌われないよう接してきた。(↑今では嫌われても良いと思うようになった)

プライベートでは一人でいたいものの、

独り者は寂しいやつだと言われ続けてきたので

友人作り、作れた友人関係の維持に尽力していたら

疲れ果てて動けない日もあった。

 

生きづらさを感じる。

自分の理想の生き方は他の人間から見ると

どうも異質らしい。

 

僕は自分で言うのもなんだが、

人に誇れるよう自律した生活を送ってきたつもりだ。行動面も他人に見られても恥ずかしくないように律してきたし、思考面も道徳を心に刻み日々を過ごしている。

 

だが社会は違う。

多くの事に悪意が満ちすぎている。

たとえ不正があったとしても

程度によっては無かったこととされる。

 

これまで真面目さと誠実さのみで生きてきたぼくにとっては、そんな社会に溶け込むという事は

『自分の精神を穢す』に近い。

(↑自分が優れてると言いたい訳ではない)

堕落したくないのだ。

 

そうもがいてはみたものの。

結果的に至った考えは

『人生は辛いがそこに意味はない』ということ。

 

只々虚しい。

この感情は言葉にし難い。

生きる気力も一気に消え失せた。

 

だが辛い出来事は無意味だとは思えない。

論理的な説明は出来ないが、

どんな出来事でも僕はショックを受けるだろうし、

それがその後の生活に支障が出ることもあるだろう。

 

それよりも楽しいことに関しては無意味だと考えてしまうようになった事が非常に大きな問題だ。

こうなると何をするにも気力が湧かない。

今までやってきた独学も運動も、何も意味がなかったのでは?と考えてしまう。

これでは寂しさ、虚しさしか感じられない。

 

このまま職場復帰をしても良いものだろうか。

いや、きっと復帰できる状態ではない。

 

昼ごろ会社から電話があった。

今回の休職によって退職となる可能性があることも視野に入れてほしい。とのこと。

 

残酷だ。

僕が何をしたと言うんだ。

 

自暴自棄になりそうだ。

前職の会社では色々な理由をこじ付けられ

根負けして自己都合退職となってしまった。

 

これ以上は履歴書を汚せない。

たとえ後に退職させられることになろうとも

なんとか会社にしがみついてギリギリまで働き通して勤務年数を稼いでやる。

 

会社がそう来るなら僕はそれに反抗してやる。

 

そんな『反逆心』だけが今の原動力となっている。

 

だが果たしてその行動に意味はあるのだろうか。

きっと無いのだろう。

 

生きる意味はとうになくなってしまったが

死ぬ意味は積もるほどある。

 

また希死念慮が迫ってくる。

それは忘れた頃にふと急にやってくる。

だが実際は僕はそれを忘れてなんかおらず、

いつも脳の片隅の方でジッとこちらを覗っていたのだろうか。

 

もう死んでしまいたい。

僕にはこの社会が野蛮すぎた。

 

もし生きようとするならこの汚れた社会に倣って

精神を堕とし穢すのが手っ取り早いのだろう。

 

だがそれは僕には許せない。

真面目さ誠実さを失うくらいなら僕は死を選ぶ。

 

だから死にたいんだ。

だから僕は死にたいんだ。

こんな後ろ向きな考えを相談してみたが

誰にも理解されなかった。

 

僕は孤独だ。しかも金も無い弱者だ。

 

生きているのがどうでもよくなる。

首を吊る道具なら自作すれば幾らでも用意できる。

だがきっと極限で思いとどまるだろう。

そして死ななかった事に自己嫌悪をするんだ。

 

なんて味気ない、なんて非生産的な行動。

 

だが、このまま『無』を追求していくと

死ぬ事に対して思いとどまることは無くなるだろう。

 

死は目前に迫っているのかもしれない。

 

生きたい。とは思えない。

僕の傍にはいつも死が存在している。