うつブロ【うつ病社会人のブログ】

うつ病でも前向きに生きたい。そんな人が書いてるブログ。

「生きづらい」から「死にたい」へ

「どうして死んではいけないのか」

 

うつに罹って3年目となるが、

僕はずっと自分が課したその問いに悩まされてきた。

 

僕にとって死は「救済」だ。

社会に出てからというものの生きていても辛い事ばかりで

楽しいと思える事なんてこれっぽっちも無い。

こんな狂った社会で生きていくくらいなら死んだ方がマシだと

今でも思っている。

 

先月の上旬

5週間しっかり「脳」を休ませなさい、と医師に言われ

長め(?)の休職期間が始まった。

それでも脳が休まってる気はしない。

自分の将来・未来が心配で、考え事が頭を巡り廻り続けて

眠れない夜も少なくはなかった。

 

この期間はなるべく社会に馴染めるように、

色々な人に会うよう努めた。

衣類を新調し、友人と食事に行き、アクティビティを楽しみ、趣味に没頭した。

それでも気持ちが晴れるのはその一瞬だけで、

すぐに暗い感情に襲われた。

現実は変わっていないと気付いてしまうから。

 

僕は自分の意見を曲げるのが嫌いだ。

 

新卒の頃、職場の先輩に食事に連れられた事がある。

「俺、このあたりで美味い店知ってるから連れてってやるよ」

なんて言うものだから新人社会人の僕は大層期待して店に向かった。

 

着いた店は子供の頃によく行っていた”安いと話題の”バイキング店だった。

肉・寿司・サラダ・デザート等々、幅広い層が楽しめる店だ。

各宅に備わっている鉄板で肉を焼き口に運ぶ、

そして僕は心底がっかりした。

まったく美味くなかったからだ。

それでも先輩は満足げに肉を食べ進め

「どうだ?美味いだろ?」と僕に訊ねてくる。

「この肉ですか?不味いですね」なんて言おうものなら

この場の雰囲気を壊すどころか後々の仕事関係も危うくなると思い僕は

「凄く美味しいです。こんなに素晴らしい店を知れて良かったです」と返事をした。

 

このような気遣いをしなくてはならない場面が毎日どこかで発生する。

他人の顔色に合わせて自分の意見も変えていく。

それが僕からすると苦痛でしかない。

 

という話を周囲の人にすると

「柔軟性が無いね」

「協調性に欠ける」 と言われる。

 

その度に僕は

「あぁ、自分はこの社会には適応出来ないのか」と思わされてきた。

 

先ほど記したが、

この5週間は多くの人に会うよう努めた。

(↑それでも社交的な人からすると少ないとは思うが)

大学の友人・元職場の同僚・友人の友人など、

僕にしては随分と広く動いたと思う。

だがその分、疲労も大きかった。

 

僕は気にしいな性格で、

自分の些細な一言で相手に不快な思いをさせたくないと思う節がある。

例えば、僕は発言する前に自分の意見を何度も咀嚼して

誰の逆鱗にも触れないような”柔らかく””優しい”言葉に変換する。

これが酷く疲れるのだ。

自分の思いの丈を素直に他人に話せたらどんなに気が楽か、

と常に感じさせられる。

 

だがそれは社会では広く認められていない。

僕のような他人と意見を合わせない人間を周りは良くは思わない。

 

今所属している会社は

休職が明け次第辞めようと思っている。

入社してまだ2か月だが退職、また職務経歴に傷がついてしまう。

次の転職で苦労するのは分かっているが、

だとしても今は働ける状態ではないと思っている。

「死」を身近に感じすぎている。

 

6月末の記事を見返して

「あと少しの期間生きてみませんか」なんて

偉そうなことをよく言えたものだと思う。

 

今は僕自身が希死念慮・自殺願望に囚われている。

死にたくて死にたくて堪らない。

外に出なくとも死ねる手段はいくらでもある。

 

それでも僕は死んでいない。

まだこの社会に希望があるんじゃないかと心のどこかで思っている。

だから社会と向き合い、自分に問い続けてこうして記事を書いている。

 

自殺志願者とは一般的にはネガティブでマイナスなイメージに捉われがちだが、

実際は「誠実社会に対して情熱をもって挑んできた人達」なのだと勝手に思っている。

 

「どうして死んではいけないのか」

 

きっとその問いに答えは無いのだろうが

僕は探求せずには居られない。

 

その探求心がまだ僕をこの世に繫ぎ止めてくれているのだろう。

 

 

 

余談

ブログを開設して1月ほどしか経っていないが

「よく続けられているな」と我ながら意外に思っている。

ブログを始めてからの変化として文章力が向上した。

記事を書く速度が増し、以前より早く執筆を終えられるようになった。

これは飽き性の僕にとっては大きな一歩だ。