僕はなぜ今も生きていられるのか
これまで何度も自殺しようと試みたが、
現在もこうして生きていて、
しかも文章も拙いのにブログという媒体で
「自分の考えや意見」等を発信している。
なぜ僕はまだ生きれているのか。
正直に書こう、
僕は自殺することが怖くて怖くてたまらない。
更にそこから掘り下げていき、
なぜ「自殺」を恐く感じているかというと、
自分の思った通りに簡単には死ねないからだ。
以前のブログで
「首吊りが最も簡単でコスパが良い」というようなことを書いた。
確かに今でもコスパは良いとは思っているが、
首吊り自殺に関するレポートだったり、
遺族が記した文書を読むうちに、
良くも悪くも首吊り自殺の現実を知ってしまった。
僕は首吊り自殺のプロではない、
(↑そんなプロが居てたまるか)
だから失敗する可能性も当然ある。
例えば、
縄の結びが甘く途中で解けてしまったり、
結んだ箇所の耐久性が低くこれまた途中で落下してしまうことがあるだろう。
こうして死にきれなかった場合、
要するに失敗してしまった場合は身体に障害が残ってしまう。
20代後半にして植物人間にはなりたくない。
それならば今のまま人生に悩み続けながら生きていく方がマシだと
考えるようになった。
だからまだ生きている。
僕はこれからも、
またこれまで通り
つまらない事に悩み眠れぬ夜を過ごし、
つまらない事で気分を左右され自己否定に陥り、
つまらない事で死を意識するだろう。
そんな人生は終わりが見えず、
しかも険しく厳しいものだろう、
だが「死」がそれ以上に残酷で過酷なものであるとしたなら、
僕は生きる道を選ぶ。
1週間後、
半年後、
また1年後の自分が「生きる道」を選んでいることを
自分事ながら望んでいる。
仮にもし価値観が大きく変わり
僕が自らの決断で「死」を選んだとしたならば、
僕の人生は所詮その程度なんだと思う。
後記
昨夜から一睡もできず長い夜を過ごしたが
その分今まで放置していた悩みにまで思考を巡らすことができた。
だから一度思考を衝動的に文章化したくなり
この記事は珍しく夕方ごろに執筆した。
だが書いている途中で感情が込み上げてきて、
気付けば涙を流していた。
(↑何故か左目からしか涙が出ない)
これほど自分の感情を素直にまっすぐ表現できる媒体は他には無いだろう。