うつブロ【うつ病社会人のブログ】

うつ病でも前向きに生きたい。そんな人が書いてるブログ。

死んでしまいたい

現在、強い自死念慮に襲われている。

正直もう抑えられる気がしない。

この記事が最後になるかもしれない。

 

辛い。

とにかく辛い。

何で自分が生きているのかを毎日考えている。

 

夜眠るのが怖い。

また辛い一日が始まるから。

 

脈絡のない文章かもしれないが、

脳の機能が低下しているのが自分でも良くわかる。

文章作成能力や集中力も低下している。

 

俺が死んだら、

母も後を追うらしい。

 

遺される家族はどう生活していくのだろうか。

分からない。

 

1日がとても長く感じる。

永遠かと思う程に永い。

今まで好きだった事はもう興味が無くなってしまった。

もう何かする気力すら湧いてこない。

スマホすら重く感じるほど筋力も落ちている。

 

いつか笑って過ごせる日が来ると信じたい。

だが現状が辛すぎて絶望している。

 

うつ病は本当に回復するのだろうか

治療を変えて1ヶ月経過したが一向に回復している気がしない。

担当医は休みがちで症状の相談もなかなかできない。

 

俺はどうしたら良いのだろうか。

これが最期の記事になるかもしれない。

さようならは済ませたから。

消えてしまいたい

5月頃から消えてしまいたい・死んでしまいたいと思うことが多々あり、

その度に苦しい思いをして来た。

今現在も変わらずそうである。

 

違うことを考えて気分転換したいが、一度希死念慮に囚われてしまうと、

これが中々抜け出せない。

抜け出す方法があるなら教えて頂きたい。

 

希死念慮に囚われるとパニックを起こすこともよくある。

まだ家族の前でしかパニックは起こしていないが、

これが外出先でも起こるかもと思うと外出するのも怖くなる。

 

いっそのこと死んでしまった方が楽なんじゃないかと思う。

だが遺された家族の事を考えると死んでも死にきれないだろう。

 

だから今日も生きている。

 

まだ生きている。

前回のブログから2年半ほど経過したらしい。

変わったことと言えば、まず障害年金を貰えたこと。

次にリハビリとして病院のデイケアを利用しようと考えていることだろうか。

障害年金を貰えることで金銭的に安心した。

やはり収入の有無は大事。

 

リハビリに関しては正直乗り気ではない。

プログラムがアロマセラピーやヨガ、楽器を用いたリラックス法等が多く、

いまいち病状とは関係なく思えるから。

それでも参加した方が良いのかなと思う自分と、やはり通っても仕方がないのでは?と思う自分が居て葛藤している。

 

今は「とりあえず生きてるから良し」とだけ思れば上々なのだろうか。

死を考えさせる暇を与えない

この1週間ほど、

自殺衝動に駆られること無く過ごせた。

 

というよりかは駆られてる余裕が無かった。

急な日用品の買い出しや、外出して筋トレに没頭したり

書店を巡ったり映画を観たり案外充実していた。

 

自殺衝動を抑えるためには趣味を楽しめばよい。

というような事を本で見かけたけども、

自分には「外出すること」そのものが効果的だと感じる週だった。

 

これからも気分が落ち込んだり疲労感が残っていたりで

外出したくないと思ったとしても、

僅かな時間でも外に出て刺激を浴びていこうかな。

年が変わり、そして現状

前回のブログから大分日が空いてしまった。

まだ年が変わる前、昨年の12月下旬にかなり重めの鬱症状で困らされていた。

12月下旬と言えばクリスマスや大晦日のようなおめでたいイベントが短期間に集中しており、それに合わせて街の雰囲気もおめでたムードで溢れていた。

それが今の自分の状態に合わなかった。

ハッキリ言って現状の自分はこれまでの人生の中でも最悪だと言い切れるほどの精神状態であって。

そんな男が、クリスマスで幸せの絶好調です♪みたいなカップルや家族を見て何も感じない訳がない。

自分がひどく惨めに思えたし、劣等感も覚えた。

(だからといってカップルを襲撃するような軽率で野蛮なことをしたりはしない)

そんな自分に生きる価値を見出せなくなり自殺も考えた。最近は何かアクシデントやストレスに直面すると『死んだら楽になるな』と考えるクセがついてしまったように思える。

経済状況は消耗戦のようで、ジワジワと余裕が無くなっている。

それなら働いて稼げば良いじゃないかと思うだろうが、僕は就職に対してあまり良いイメージを持っていない。

まず、企業のもとで働く事に抵抗がある。企業の社風が自分の価値観や理念に合っていて今後やりたい仕事にも就けるのなら流石に就職したくもなるが、そんな会社は無い。

からして、たいして興味のない会社に勤める事になったら毎日が苦痛になりそうだ。

僕は過去に1日あたり9時間ほどゲームをして過ごしていた期間が3か月ほどあった。

周りから見ると異常かと思われるかもしれないが、当の僕にとっては素晴しい至福の期間だった。

楽しいこと、好きなことだから1日9時間稼働できたわけであって、それが仕事となるとそうはいかないだろう。

大体、会社の仕事なんてものは7割方はどうでもいい必要かどうかすら分からないものでこなすのは非常に退屈でストレスが溜まる。

それなのに1日に8時間の労働が強制させられる。

考えれば考えるほど馬鹿らしくなってくる。

 

生きていくのに金は必要だ、

だが企業で上司や部下の機嫌を伺ったり社内政治に巻き込まれて面倒を被ったり、来る日も来る日もゴミのような業務をこなすのは苦痛だ。

だから生きていたくないんだ。

だから死にたいんだ。

 

そんな僕だが新卒1年目は狂ったように働いていた。

自宅から遠い支店に配属となって片道2時間30分かけて通勤、自分の仕事をこなしつつ上司のサポートをしたり部下への指示出しなんかをしていたら気が付けば夜になっていた。少し残業もやったりして、その後は上司に付き合って飲み屋に繰り出したりしていた(出世のためだけに同行していた)。

 

だがうつ病になって全てが変わった。

周りの光景が色褪せて見えるようになった。

食事や芸術から何も感じ取られなくなった。

以前なら楽しめたことも楽しめなくなり、

次第に生きる気力も枯れていった。

生きること、働くことに疑問を抱くようになった。

それは今も変わらない。

そしてきっとこれからも変わらないだろう。

 

僕は何故生きているのだろうか。

何故死んではいけないのだろうか。

生きろというのなら何故働かなくてはならないのか。

疑問はずっと何一つとして変わらない。

 

ふと街に繰り出すと、

スーツ姿で仕事に向かう人だったり、

取引先であろう相手と電話を交わしている人を目にする。

その度に僕は『あの人達は何の為に働いているのだろうか』と真剣に考えてしまう。

答えはきっと『生きなくてはならないから』だろう。これが根源にあるから働く意欲が沸々と湧いて出てくるのだろう。

 

だが僕にはその『生きなくてはならない』という思いは無い。それなら僕は何の為に働くのだろうか。

 

もう僕は死んでもいい。

全て準備は既に整っている。

あとは家族以外に迷惑がかからない方法で済ませられれば何も問題ないだろう。

 

もう最近は生きている心地がしない。

なんだか精神は既に死んでしまっているではないかと錯覚している。

自殺そのものに対して何も感情を抱かなくなった。

怖い、嬉しい、悲しい。

何も感じない。

ただただ無になるんだという思いだけがある。

 

出来ることはやって早く死のう。

もし生きていたらその時の気持ちを

またブログに綴ろう。

 

 

 

社会恐怖と安楽死希望

会社を辞めて1週間以上経過した。

僕はまだダラダラと生きてしまっている。

ただ、誰にも迷惑をかけずに死ぬことができたら、

それが僕にとってどれだけ救いになることか。

 

アルバイトの面接を受けに行き、

久しぶりに雇用者と労働者の強弱関係を思い知らされた。

案内された部屋の前、ノックは2回、

面接官の「どうぞ」の声を合図に部屋に入る

だが、その際に「失礼致します」と言いたかったのだが、緊張とは別に恐怖で声が震えてしまった。

 

僕はこの人たちに雇われるんだ。

この人達の機嫌を取って好かれなければ雇われない。労働者がここで選別されてるんだ。

僕は雇われるだけの弱い存在なんだ。

というふうに考えてしまった。

(その当時はもっと不安な気持ちで押しつぶされたような感覚になっていた)

 

僕は主従関係が苦手だ。

だが例外はある、相手が僕からみてとても素晴らしい人間論理を持っていて行動も道徳に則ったことをしている。そんな人間に従えるのなら僕は是非とも従わせて頂きたい。

 

分かっている。

そんな人間など滅多にいない。

 

だが僕は、いかなる相手にも誠実で、誰も損させないように利他的に動いてきたと胸を張りたい。

それが会社組織的には鬱陶しがられる事が多かった。

邪魔者、空気読めないやつ、偽善者、余計な仕事を増やすやつ、なんて散々言われてきた。

 

僕は誠実に真っ直ぐ生きてきたつもりだ、

だが現実ではしたたかなやつが組織に馴染めている。

 

最近、死刑になりたくて犯罪に走ったというニュースを見た。

 

僕も死刑になりたい。

ただ、僕は誰かに危害を与えたいわけではない。

 

警察署に行って。

「お願いします。私を殺してください」

なんて言って

それを聞いた警察官も

「はい。それでは安楽死でご案内進めさせて頂きます」なんて返事をして。

簡単に安楽死に至らないのだろうか。

 

首吊りはダメだ。

現場になった物件の価値が下がる。

近隣住民からのバッシングもあるだろう。

 

安楽死がいい。

いや

安楽死でなくともいい。

 

誰か僕を殺してくれ。

もう生きていたくない。

殺してくれ。

頼むから。

死んで救われる人間がここに居るんだ。

カナダなら安楽死も依頼できる。

日本には無いのか?

頼む

頼むから

僕を殺してくれ

殺してくれ

頼む

 

勇気を出して誘ってみたものの…

正直に告白する。

僕は非常に友達が少ない。

0人ではないのだが、連絡を取り合うことは殆どない為、僕の中では友達がいないのと変わりはない。

 

そんな僕でも

最近お誘いのメッセージを送ることがある。

 

だが、たかが友達へのメッセージだとしても

性格柄か気を遣ってしまう。

 

「この文章の書き方だと宗教の勧誘だと思われそうだな」

とか

「あまりビジネスっぽくカッチリした文にするとセミナーの集客みたいになるな」

とか。

 

他にも試行錯誤を繰り返した結果、

ラフさを出しつつ目的をハッキリさせた文章にすると良いのでは?と思うようになった。

 

文面は大体こうだ

『久しぶり!元気してた?

前から気になってた〇〇って店行かない?

そのあとカラオケとかも行こうよ』

という感じだ。友人へのお誘いの分なんて大体こんなものだ。

(↑無理にテンションを上げて何がなんでも来てもらおうとしている必死さが窺えるのは僕だけだろうか)

 

さぁ

気持ちの準備、お誘い文章の作成を終えて

いざ、メッセージ送信。

 

ーーーーーーーーー30分後ーーーーーーーーーーー

友人から返信が届いた。

内容を確認すると

『行けるか分からない、考えさせて』

だってさ。

 

あのさぁ…

行きたくないなら

『ごめんその日用事あって…』とか言ってくれれば

それで終わりなのに、なぜ引き伸ばそうとする?

そうやって期限引き延ばす時って大体行く気ないとかじゃないのか?

(※個人の解釈が含まれております)

 

だから人を誘うのは面倒なんだ。

文章の構成、文章内容の雰囲気、相手の好み、

相手の大まかなスケジュール。

これらの工程には非常に気力を使う。

 

なのに、

行けるか行かないか曖昧な返事をされると

僕としては困る。

ここで

『わかった!行けるよ』

とか

『ごめん!行けそうにない』

とか具体的な返事が来てくれたら僕もそのまま前に進めた。

 

『行けるか行かないか分からない』って

僕はどんな気の持ちようで過ごせば良いんだろうか。

 

はぁ

こういうスケジュール合わせが面倒なんだ。

 

ちなみに僕が融通きかないわけではない。

候補日も幾つか指定して抜かりがないようなしている。

(↑この調査も面倒さの一つ)

 

一人行動は楽だ。

自分の好きなことにだけ時間を費やせるし、

外部からのストレスも比較的少ない。

とても快適だ。

 

他人と過ごすとストレスが溜まる。

僕のことを知りもしないくせに勝手なアドバイスをしてくるし、相手の挙動に注目してしまい疲れていく。一緒に過ごしていても楽しくない。

(↑僕が退屈な人間なのか、それとも相手が退屈な人間なのか、それとも両方か)

 

友達を遊びに誘うのは苦労が多く、とても面倒だ。

変に気使ったりするし、もう最悪だ。

 

社会性を失いつつある気もしなくはないが

僕にはおひとり様が丁度良い。