年が変わり、そして現状
前回のブログから大分日が空いてしまった。
まだ年が変わる前、昨年の12月下旬にかなり重めの鬱症状で困らされていた。
12月下旬と言えばクリスマスや大晦日のようなおめでたいイベントが短期間に集中しており、それに合わせて街の雰囲気もおめでたムードで溢れていた。
それが今の自分の状態に合わなかった。
ハッキリ言って現状の自分はこれまでの人生の中でも最悪だと言い切れるほどの精神状態であって。
そんな男が、クリスマスで幸せの絶好調です♪みたいなカップルや家族を見て何も感じない訳がない。
自分がひどく惨めに思えたし、劣等感も覚えた。
(だからといってカップルを襲撃するような軽率で野蛮なことをしたりはしない)
そんな自分に生きる価値を見出せなくなり自殺も考えた。最近は何かアクシデントやストレスに直面すると『死んだら楽になるな』と考えるクセがついてしまったように思える。
経済状況は消耗戦のようで、ジワジワと余裕が無くなっている。
それなら働いて稼げば良いじゃないかと思うだろうが、僕は就職に対してあまり良いイメージを持っていない。
まず、企業のもとで働く事に抵抗がある。企業の社風が自分の価値観や理念に合っていて今後やりたい仕事にも就けるのなら流石に就職したくもなるが、そんな会社は無い。
だからして、たいして興味のない会社に勤める事になったら毎日が苦痛になりそうだ。
僕は過去に1日あたり9時間ほどゲームをして過ごしていた期間が3か月ほどあった。
周りから見ると異常かと思われるかもしれないが、当の僕にとっては素晴しい至福の期間だった。
楽しいこと、好きなことだから1日9時間稼働できたわけであって、それが仕事となるとそうはいかないだろう。
大体、会社の仕事なんてものは7割方はどうでもいい必要かどうかすら分からないものでこなすのは非常に退屈でストレスが溜まる。
それなのに1日に8時間の労働が強制させられる。
考えれば考えるほど馬鹿らしくなってくる。
生きていくのに金は必要だ、
だが企業で上司や部下の機嫌を伺ったり社内政治に巻き込まれて面倒を被ったり、来る日も来る日もゴミのような業務をこなすのは苦痛だ。
だから生きていたくないんだ。
だから死にたいんだ。
そんな僕だが新卒1年目は狂ったように働いていた。
自宅から遠い支店に配属となって片道2時間30分かけて通勤、自分の仕事をこなしつつ上司のサポートをしたり部下への指示出しなんかをしていたら気が付けば夜になっていた。少し残業もやったりして、その後は上司に付き合って飲み屋に繰り出したりしていた(出世のためだけに同行していた)。
だがうつ病になって全てが変わった。
周りの光景が色褪せて見えるようになった。
食事や芸術から何も感じ取られなくなった。
以前なら楽しめたことも楽しめなくなり、
次第に生きる気力も枯れていった。
生きること、働くことに疑問を抱くようになった。
それは今も変わらない。
そしてきっとこれからも変わらないだろう。
僕は何故生きているのだろうか。
何故死んではいけないのだろうか。
生きろというのなら何故働かなくてはならないのか。
疑問はずっと何一つとして変わらない。
ふと街に繰り出すと、
スーツ姿で仕事に向かう人だったり、
取引先であろう相手と電話を交わしている人を目にする。
その度に僕は『あの人達は何の為に働いているのだろうか』と真剣に考えてしまう。
答えはきっと『生きなくてはならないから』だろう。これが根源にあるから働く意欲が沸々と湧いて出てくるのだろう。
だが僕にはその『生きなくてはならない』という思いは無い。それなら僕は何の為に働くのだろうか。
もう僕は死んでもいい。
全て準備は既に整っている。
あとは家族以外に迷惑がかからない方法で済ませられれば何も問題ないだろう。
もう最近は生きている心地がしない。
なんだか精神は既に死んでしまっているではないかと錯覚している。
自殺そのものに対して何も感情を抱かなくなった。
怖い、嬉しい、悲しい。
何も感じない。
ただただ無になるんだという思いだけがある。
出来ることはやって早く死のう。
もし生きていたらその時の気持ちを
またブログに綴ろう。