社会恐怖と安楽死希望
会社を辞めて1週間以上経過した。
僕はまだダラダラと生きてしまっている。
ただ、誰にも迷惑をかけずに死ぬことができたら、
それが僕にとってどれだけ救いになることか。
アルバイトの面接を受けに行き、
久しぶりに雇用者と労働者の強弱関係を思い知らされた。
案内された部屋の前、ノックは2回、
面接官の「どうぞ」の声を合図に部屋に入る
だが、その際に「失礼致します」と言いたかったのだが、緊張とは別に恐怖で声が震えてしまった。
僕はこの人たちに雇われるんだ。
この人達の機嫌を取って好かれなければ雇われない。労働者がここで選別されてるんだ。
僕は雇われるだけの弱い存在なんだ。
というふうに考えてしまった。
(その当時はもっと不安な気持ちで押しつぶされたような感覚になっていた)
僕は主従関係が苦手だ。
だが例外はある、相手が僕からみてとても素晴らしい人間論理を持っていて行動も道徳に則ったことをしている。そんな人間に従えるのなら僕は是非とも従わせて頂きたい。
分かっている。
そんな人間など滅多にいない。
だが僕は、いかなる相手にも誠実で、誰も損させないように利他的に動いてきたと胸を張りたい。
それが会社組織的には鬱陶しがられる事が多かった。
邪魔者、空気読めないやつ、偽善者、余計な仕事を増やすやつ、なんて散々言われてきた。
僕は誠実に真っ直ぐ生きてきたつもりだ、
だが現実ではしたたかなやつが組織に馴染めている。
最近、死刑になりたくて犯罪に走ったというニュースを見た。
僕も死刑になりたい。
ただ、僕は誰かに危害を与えたいわけではない。
警察署に行って。
「お願いします。私を殺してください」
なんて言って
それを聞いた警察官も
「はい。それでは安楽死でご案内進めさせて頂きます」なんて返事をして。
簡単に安楽死に至らないのだろうか。
首吊りはダメだ。
現場になった物件の価値が下がる。
近隣住民からのバッシングもあるだろう。
安楽死がいい。
いや
安楽死でなくともいい。
誰か僕を殺してくれ。
もう生きていたくない。
殺してくれ。
頼むから。
死んで救われる人間がここに居るんだ。
カナダなら安楽死も依頼できる。
日本には無いのか?
頼む
頼むから
僕を殺してくれ
殺してくれ
頼む